TPPの安全性に関する見解書(改訂版)
日本難燃剤協会リン部会
2003年3月5日

わたしたちの家庭や職場で使われる電機電子機器の増加に伴い、それらの機器の火災安全性を確保することが非常に大切なことになっています。コンピューター等の電機電子機器を燃えにくくするために使われる代表的な難燃剤の一つにトリフェニルホスフェート(以下TPP と記す)と呼ばれるリン酸エステルがあります。
 平成12年9月21日付朝日新聞に「アレルギー物質パソコンから放出」の記事が掲載されました。これは、米国の科学誌"環境科学技術"に掲載されたストックホルム大学の研究チームの論文1)より引用されたものです。この新聞記事及び論文によると、TPPがコンピューターより放出され、引用文献をあげてこのTPP がアレルギー物質であるとしています。また、この論文にはTPPが溶血性であるとの報告も引用されています。
 さらに、平成12年11月、日本子孫基金発行の月刊誌"食品の暮らしと安全"(No.139)に「パソコンから神経毒物」と題する記事が掲載されました。出典は明らかにされていませんがこの記事によりますとTPP は神経毒物であるとされています。
 日本難燃剤協会及びリン酸エステル系難燃剤技術協議会では、これらの記事及び論文の記載事項が事実かどうかを確かめるために引用文献等を精査し、毒性試験を行いました。その結果、TPP の安全性に懸念があるとの指摘は正しくないとの結論に至りましたので共同見解を以下のとおり述べさせていただきます。

1.アレルギーについて
  OECDの皮膚感作性試験では感作率0%
TPPがアレルギー物質である根拠としてストックホルム大学の論文が引用している引用文献2)によりますと、67歳の眼鏡をかけた女性が刺激性の発疹皮膚炎を鼻柱とこめかみに生じたので、原因を調べるため、この女性にパッチテストを行ったところ、ザロールを含むベンゾカイン塗布剤、眼鏡フレームの破片、TPP及びトリクレジルホスフェート(TCP)に対して陽性反応を示しました。
 TPPの皮膚感作性に関する疫学的研究には他に引用文献3)があります。この文献ではTCPとTPPの交差反応による接触皮膚炎が報告されています。それによると、コペンハーゲンのFinsen研究所皮膚病科で32種類のパッチテストすべてに陽性を示す患者が発見され、調査の結果、この患者が職業上扱うカーボン紙に含まれるTCPによって感作され、パッチに使用されていたアセテートフィルムに含まれるTPPに反応したことが示唆されました。さらに過去の記録を調べたところ、この研究所で1950年から1962年の間にパッチテストを受けた23,192人の皮膚科受診患者のうち他にも14人(確率0.065%)が同様の陽性反応を示していました。
 これらの研究はTPPが原因物資であると断定しているわけでなく、原因物質の候補の一つであると言っているだけです。引用文献2)の著者自身も「アレルギーの既発症者に対して原因物質を特定するのは困難であるためTPPを含む個々の物質についてモルモットを用いた皮膚感作性試験が必要である」と指摘しています。
 そこで化学物質の毒性試験の国際標準であるOECD ガイドラインの中でも最も厳しいとされる"Magnusson and Kligman Maximisation"法によるモルモットにおけるTPP の皮膚感作性試験を専門機関に依頼しました。その結果、感作率は0%で、皮膚感作性は全く認められませんでした。4)

2.溶血性について
  人への影響はないレベル
溶血性とは、化学物質等が血液に溶解することにより赤血球膜が破壊され、血色素が溶出する現象であり、赤血球膜破壊が起こると酸素不足となり、貧血、呼吸困難、めまい等の症状が現れますが、輸血や造血により回復します。ストックホルム大学の論文が引用している引用文献5)によりますとTPPは溶血性の指標であるEC50値が45μM/L、EC20値が31μM/Lと報告されています。EC50とは50%の割合で、EC20とは20%の割合で溶血性が生じる濃度です。
 TPPの溶血性により人に影響を与えるかどうかについては人のTPP血中濃度とこのEC濃度を比較して議論すべきです。
 人のTPP血中濃度の測定事例はありませんが、ストックホルム大学の研究チームが測定した室内空気中のTPP濃度の最大値は94ng/m3で、これを人が1日に24 m3呼吸すると仮定すれば1日に体内に取り込む量は2.3μgとなります。仮に、代謝(分解)がなくて全量血液に溶解残存するとして、人の血液量を4.6リットル(体重60kgの1/13で、比重を1とする)として計算すれば、1日当たりのTPP(分子量326)の血中濃度は0.0015μM/Lとなります。これがEC20値の31μM/Lに到達するには56年以上(31÷0.0015=20,667日)かかります。実際には体内でのTPPの代謝があるのでさらに年数がかかることになります。従って、現実にはTPPの溶血性による人への影響は殆どありません。

3.神経毒性について
  高純度品では神経毒性なし
TPPに関しては、国際化学品安全プログラム[IPCS: 国連環境計画(UNEP), 国際労働機関(ILO)及び世界保健機構(WHO)の共同事業]で数多くのデータが集積されています6)。この文献の中の、10.1節"ヒトの健康に関する危険性の評価" の中で「早期の報告に反して、TPPは動物及びヒトに対して神経毒性を有するとは考えられない。」、と神経毒性は否定されています。
 たしかに、1930年代にはTPPに神経毒性があるという研究結果がありました7)。しかしその後1970年代の試験8)では神経毒性は発生せず、初期のTPP試験試料には神経毒性を発生させる不純物が含まれていことが示唆されました。
 現在ではTPPの同族体リン酸エステルであるトリo-クレジルホスフェートが神経毒性を有する物質として解明されています9)。1930 年代、TPP を製造するために使用された原料フェノールは、その当時は純度の高い合成フェノールが製造されていなかったので石油系又は石炭系のタールから分留して得られたフェノールが使われていました。タールの中にはフェノールのほか、クレゾール類、キシレノール類、トリメチルフェノール類、エチルフェノール類等が含まれており、当然のことながらo-クレゾールも含まれています。
 つまり、TPPに神経毒性があるという研究が発表された1930年代は分留技術が未熟であり、TPPの合成に使用されたフェノール中にリン酸エステルになると神経毒性を発するo-クレゾールが含まれていたました。
現在、TPPの製造に使用されている原料フェノールは、1972年頃に工業化された合成法により製造されているもので、その純度は高く、o-クレゾール含量は0.01%以下(分析事例)です。
このため、1970年代以降に行われた追試験ではTPPの神経毒性は再現されませんでした。

最後に
TPPは世界各国の生産会社によって数十年にわたって生産され、そして顧客に使用されてきました。いままで日本国内において、生産労働者及び使用者に健康障害が発生したことは報告されていません。また、ヨーロッパにおいても同様の状況である旨を、欧州難燃剤協会(EFRA)がそのポジション・ペーパーの中で報告しています。
 TPPは長年にわたって多くの用途で使用されてきました。中でも重要なのは難燃剤としての用途です。難燃剤としてのTPPは、身の回りの電気電子製品を始めとする各種プラスチックスを難燃化することにより火災のリスクを抑え、人命や財産を守ると言う非常に大切な役割を担っています。
 TPPにおいて難燃という重要な機能を担っているのは、燐という元素です。昨今、湖沼の富栄養化のような問題を捉えて燐自体が悪であるような風潮もあります。しかし燐は、生態系に存在する6元素の一種であり、わたしたち人間を初めとする生物にとって、エネルギー代謝や遺伝という最も大切な生命活動を行うのに不可欠な元素でもあります。ただし、自然環境中に大量の燐化合物が放出されるような事態は、生態系の影響を考えて当然あってはならないことです。有用な元素である燐をライフサイクルアセスメントの観点できちんと評価しながら
 適切な量を適切な使用方法で使用することにより、化合物の有用性を人類の福祉に役立てていくという観点に立つことが、大切であると考えております。
 日本難燃剤協会は、欧州難燃剤協会(EFRA)や米国難燃剤協会(FRCA)と協力し、今後ともレスポンシブル・ケアの精神にのっとり難燃剤の安全管理および安定供給に努めていく所存です。

以上

参考文献

1)Carlsson, H., et al. Video Display Units: An Emission Source of the Contact Allergenic Flame Retardant Triphenyl Phosphate in the Indoor Environment. Environ. Sci. Technol., 2000, 34, 3885-3889.
2)Carlsen, L., et al. Triphenyl Phosphate Allergy from Spectacle Frames. Contact Dermatitis, 1986, 15, 274-277: 1)の引用文献
3)Hjorth, N. Contact Dermatitis from Cellulose Acetate Film. Cross-sensitization between Tricresylphosphate (TCP) and Triphenylphosphate (TPP). Contact Dermatitis, 1964, 12, 86-100
4)リン酸エステル系難燃剤技術協議会, Safe Pharm Laboratories 2001 年3 月
5)Sato, T., et al. Investigation of the Hemolytic Effects of Various Organophosphoric Acid Triesters (OPEs) and Their Structure-Activity Relationship. Toxicol.Environ. Chem., 1997, 59, 305-313: 1)の引用文献
6)Environmental Health Criteria L Triphenyl Phosphate IPCS (International
Programme on Chemical Safety), WHO (1991)
7)Smith, M.I. et al. The Pharmacological Actions of Certain Phenol Esters with Specific References to the Etiology of So-called Ginger Paralysis. Pub. Health Rep., 1930, 45, 2509-2524
8)Johannsen, F.R., et al. Evaluation of Delayed Neurotoxicity and Dose-Response Relationships of Phosphate Esters in the Adult Hen. Toxicol. Appl. Pharmacol., 1977, 41, 291-304
9) 可塑剤TCP(リン酸トリクレジル)の安全性について(昭和51 年7 月、可塑剤工業会)



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